2011年10月9日日曜日

アラム語新約聖書  マルコ伝

アラム語新約聖書  マルコ伝 第一巻 

著者(アラム語訳) 益本 重雄
発行者 長谷川周治(発行1952年)
写し Mark Badlha

 アラム語新約聖書の写本は、第1次大戦時アラム人、ジョージ・Mラムサ博士が3冊を発見、現在のイラン・カルディスタンの古代アッシリア教会派廃墟の中にあったものである。この3冊の写本は22巻による新約聖書である。
アラム語 (ܠܫܢܐ ܐܪܡܝܐ) は、かつてシリア地方メソポタミア紀元前500600頃に話された、セム語派言語で、系統的にはフェニキア語ヘブライ語ウガリト語モアブ語などと同じ北西セム語に属す。紀元前後の時代、パレスチナのユダヤ人はアラム語を用いた。従ってユダヤ教徒であったナザレのイエスとその弟子らは母語としてアラム語を話したとされる(ヘブライ語との説もある)。 (ウィキペディアより)
 これは益本 重雄氏のアラム語写本翻訳「アラム語新約聖書  マルコ伝」全10をもとに作成しました。益本氏が翻訳されたアラム語写本の福音箇所をそのままにし、益本氏の解説は省略しました。
益本氏はシリア地方の学者達とつながりを有し、発見者ラムサ博士とも親交ある方であったと記されています。

写し  Mark Badlha
 わたしは宗教家でも宗教学者でもキリスト教徒でもありません。
自称「地球環境活動家」、職業「知的財産コンサルタント」、夢想家・・・
著書「ヒマラヤ宇宙の旅」たま出版

 永い時間の経過でオリジナル(第一発声者)の語られたのが、その時のリアルタイム聴聞者(1次)、そしてリアルタイム聴聞者からの聴聞者(2次)、(3次)・・・・・、ひょっとしたら無意識のうちに微妙にその時々の聖書編集者が抜け落ちや、そのときどき心の有り様で推測を加えられた可能性もあるかもしれません。イエス・キリストに直接電話をかけることも不可能であります。結局、その時々で自己の内部の「聖なる存在」と交信し、瞑想する以外にはなかったのではと思います。

わたしは「原点」により近いものに興味があるだけです。「伝言ゲーム」というのがありますが、たった10名ていどの伝言で数行のフレーズでも最終の者に伝わるフレーズが、かなり食い違いがある場合もあります。ましてや百年単位の言い伝えでは・・・・・?
この「アラム語新約聖書 マルコ伝」もマルコ自体もイエスからのリアルタイム聴聞者ではないし、マルコの記者であり、写本作成者はおそらく第3次か第4次クラスの記者(複数かもしれない)とわたしは推測するのですが?

 イエスがアラム語で語られたかどうかでこの作業を開始したのではなく、このような新約聖書解説本も戦後まもなく存在していたということを分かち合いたいだけです。

文中の(※)は私(Mark Badlhaが掲載しました。

第一章
(バプテスマのヨハネ)
1.神の子、イエス・キリストの福音の始まり。

2.預言者イザヤのうちに『視られよ、私はあなたの面前でわたしの使者を遣わす。かれはあなたの道を準備するであろう。

3.荒野に「主の道を準備し、その行動を真直ぐにしなさい。」との声がする。』と記されてあるように。
※イザヤ書40:3 呼ばわる者の声がする、「荒野に主の道を備え、砂漠に、われわれの神のために、大路をまっすぐにせよ。」
40:5 こうして主の栄光があらわれ、人は皆ともにこれを見る。
40:9よきおとずれをシオンに伝える者よ、高い山にのぼれ。よきおとずれをエルサレムに伝える者よ、強く声をあげよ、声をあげて恐れるな。ユダのもろもろの町に言え、「あなたがたの神を見よ」と。
40:10
見よ、主なる神は大能をもってこられ、その腕は世を治める。見よ、その報いは主と共にあり、そのはたらきの報いは、そのみ前にある。
40:11
主は牧者のようにその群れを養い、そのかいなに小羊をいだき、そのふところに入れて携えゆき、乳を飲ませているものをやさしく導かれる。
※マラキ書3:1 「見よ、わたしはわが使者をつかわす。彼はわたしの前に道を備える。またあなたがたが求める所の主は、たちまちその宮に来る。見よ、あなたがたの喜ぶ契約の使者が来ると、万軍の主が言われる。」
※詩篇102:16 主はシオンを築き、その栄光をもって現れ、
102:17
乏しい者の祈をかえりみ、彼らの願いをかろしめられないからです。
102:18
きたるべき代のために、この事を書きしるしましょう。そうすれば新しく造られる民は、
主をほめたたえるでしょう。

4.ヨハネは荒野にあって洗礼を授け、また罪に赦しのための、悔い改めのバプテスマにつき、宣べ伝えていた。

5.ユダヤ全国と、エルサレムの人々が、みな彼のところに出てきて、自分達の罪を告白した時に、彼はヨルダン川にて彼等にバプテスマを授けた。

6.ヨハネはラクダの毛織物を着、腰に革帯をして、その食物はイナゴと野蜜とであった。

7.そして彼は宣べ伝えていう『視られよ、私よりも力のある方が、私の後ろから来つつある。私はかがんで、その人の靴のひもを、ほどくにも足りない。

8.私は水をもって諸君にバプテスマを施した。しかし彼は、聖霊でもって、バプテスマを施されるであろう。
※詩篇45:7あなたは義を愛し、悪を憎む。このゆえに神、あなたの神は喜びの油をあなたのともがらにまさって、あなたに注がれた。
※イザヤ書61:1主なる神の霊がわたしに臨んだ。これは主がわたしに油を注いで、貧しい者に福音を宣べ伝えることをゆだね、わたしをつかわして心のいためる者をいやし、捕われ人に放免を告げ、縛られている者に解放を告げ、
61:2主の恵みの年とわれわれの神の報復の日とを告げさせ、また、すべての悲しむ者を慰め、
61:3
シオンの中の悲しむ者に喜びを与え、灰にかえて冠を与え、悲しみにかえて喜びの油を与え、憂いの心にかえて、賛美の衣を与えさせるためである。こうして、彼らは義のかしの木ととなえられ、主がその栄光をあらわすために植えられた者ととなえられる。
61:4彼らはいにしえの荒れた所を建てなおし、さきに荒れすたれた所を興し、荒れた町々を新たにし、世々すたれた所を再び建てる。
エゼキエル書36:25わたしは清い水をあなたがたに注いで、すべての汚れから清め、またあなたがたを、すべての偶像から清める。
36:26わたしは新しい心をあなたがたに与え、新しい霊をあなたがたの内に授け、あなたがたの肉から、石の心を除いて、肉の心を与える。
36:27わたしはまたわが霊をあなたがたのうちに置いて、わが定めに歩ませ、わがおきてを守ってこれを行わせる。


(イエスの受洗と荒野の試練)
9.そのころイエスは、ガラリヤのナザレから来て、ヨハネからヨルダン川にて、バプテスマを受けたもう。
※イエスはナザレ人とも言われていた。ナザレはヘブライ語の「nazar(ナザール)切り離す」が語源のようです。イエスはユダ部族ですが、ガラリヤに住んでいたので切り離されていた。幼児期はエジプトに避難し郷里と切り離し状態。

10.そして直ちに水から上がりたもうと、天、晴れ開き、そして聖霊が、鳩のように、彼の上に、降って来たのを見たもうた。
イザヤ書32:14宮殿は捨てられ、にぎわった町は荒れすたれ、丘と、やぐらとは、とこしえにら穴となり、野のろばの楽しむ所、羊の群れの牧場となるからである。
32:15
しかし、ついには霊が上からわれわれの上にそそがれて、荒野は良き畑となり、良き畑は林のごとく見られるようになる。

11.そしてひと声が天から来た『そなたは私の愛する子、私はそなたを喜ぶ』と。
イザヤ書 42:1わたしの支持するわがしもべ、わたしの喜ぶわが選び人を見よ。わたしはわが霊を彼に与えた。彼はもろもろの国びとに道をしめす。

12.かくして聖霊がただちに、彼を荒野の中へ追いやった。

13.そして彼は40日荒野に居り、サタンに試みられ、かつ彼は野獣と共におり、また天使達は彼に仕えた
詩篇 91:11これは主があなたのために天使たちに命じて、あなたの歩むすべての道であなたを守らせられるからである。


アラム語新約聖書  マルコ伝 第二巻(2,3,4章)                         
第二章
1.かくして、イエスは、再び、数日の間、カペナウムに入りたもうた。人々は、彼が或る家に居たもうのを聞いて、
※ギリシャ語訳は「数日の後」であるが、アラム語原典では「数日間・・・」とある。

2.彼らを受け入れ得ないほど、また入り口の前にも、居れないほどの、多くの人たちが集まった。そこで彼は、二こと三こと語りたもうた。
※邦訳では「イエスは御言を彼らに語って・・・」。アラム語原典では「二こと三こと語り・・・」

3.そこで人々が、彼のところへやって来て、四人の間に運ばれた中風の人を、彼のもとにつれてきた。

4.しかし群集のため、彼の近くに来ることが出来ないので、彼らは屋根上に登りゆき、イエスの居たもう上の所を剥ぎ、そして彼らは、中風の人の寝ている架床(とこ)を吊るし下ろした。
※シリヤやパレスチナのことわざで「屋根から牛を盗む」があるらしい。それほど屋根から進入しやすいことでしょうか?

5.イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に言いたもうた『わが子よ、あなたの罪は赦されました。』と。

6.さて、学者とパリサイ人たちのある者が、そこに座っていたが、彼らは心のうちに論じた。

7.『この人は何ゆえに神を瀆すことを言うのだろう。』と

8.しかし、イエスは、彼らの間に論じているのを、霊のうちに受けて、彼らに言いたもうた。
※口語訳では「心ですぐ見ぬいて」であるが、アラム語原典では「霊のうちに受けて」である。アラム語原典でイエスの心は「ロークフー」とあり「霊」という意味。
※「彼(パリサイ人)らの心のうち」の心はアラム語原典では、「ラブホーン」となっている。
このあたりがアラム語原典では、霊(スピリット)と心(マインド 思考)とを、はっきりと区別している。

9.『皆さん、何ゆえに皆さんたちの心のうちで、こんなことを論じているのですか。中風のひとに「あなたの罪は赦された。」というのと「起きて床を取り上げて歩け。」と、いうのと、どちらが易いでしょうか。

10.けれども人の子が、地上においても、力を持つことを示すために』と、彼は中風の人に言いたもうた。

11.『私は、あなたに告げる、起きて、あなたの架床(とこ)を取り、あなたの家へ帰りなさい。』と。

12.そこで彼は、直ちに起きて、自分の架床(とこ)を取り上げ、すべての人々の目の前を出て行った。そこで人々は、皆驚いて、そして神に栄光を捧げて言った。『私たちはこんなことを、かって見たことがない。』と。
イザヤ書35:4心おののく者に言え、「強くあれ、恐れてはならない。見よ、あなたがたの神は報復をもって臨み、神の報いをもってこられる。神は来て、あなたがたを救われる」と。
35:5その時、目しいの目は開かれ、耳しいの耳はあけられる。
35:6
その時、足なえは、しかのように飛び走り、おしの舌は喜び歌う。
イザヤ書42:3また傷ついた葦を折ることなく、ほのぐらい灯心を消すことなく、真実をもって道をしめす。
42:4
彼は衰えず、落胆せず、ついに道を地に確立する。海沿いの国々はその教を待ち望む。
42:7盲人の目を開き、囚人を地下の獄屋から出し、暗きに座する者を獄屋から出させる。

13.かくして彼は、ふたたび浜辺に出て行かれた。そこで人々は、彼のもとにやって来たので、彼は教えたもうた。

14.そして彼が、過ぎ行きたもう時、彼はアルバヨの子レビが、収税所に座っているのを見て、言いたもうた。『私に随いて来なさい。』と。そこで彼は、起ち上がって、彼に従うた。

15.たまたま、彼が、彼の家に客となっていたもう時、多くの取税人や、罪人達もまた、イエスとその弟子達と共に客となった。なぜならば、そこには、大勢の人が、彼に従うたからである。
※アラム語原典では「彼が、彼の家に客となって」となっているので、取税人の家である。

16.そこで学者や、パリサイ人達が、取税人や罪人達と共に、食事したもう彼を見て、彼らは彼の弟子達に言った『何ゆえに彼は取税人や罪人達と一緒に、食事するのですか。』と。

17.イエスが、これを聞いて、彼らに言いたもうた『健康な者は、医者を要しません。ただ大病人のみが要するのです。私は、正しい者ではなく、罪人を招くために来たのです。』と。
※本当の霊的に診た「罪人」は「学者や、パリサイ人達」達かも知れない?

18.ヨハネの弟子達と、パリサイ人の弟子達は、断食をしていた。そこで彼らは、やって来て彼に言った『ヨハネの弟子達と、パリサイ人の弟子達とは、断食するのに、あなたの弟子達は、何ゆえ断食致しませんか。』と。

19.イエスが彼らに言いたもう『そうですね。新郎が、結婚の子達と、一緒に居る間は、彼らは断食し得ましょうか。それはできません。
※披露宴のときはご馳走をたくさん食べる時である。まして、千年に一度あるかないかの大饗宴である。
※わたしもヨーガで断食をしたことがあるが「形式的に断食するなら、止めた方が良い」と忠告された。

20.しかし、新郎が、その子達から、取られる日が来るでしょう。そして、その日に、彼らは断食するでしょう。
※今日断食(節食)どころか、益々、日々の生活で飽食状態に陥っている。

21.誰も新しい布切れを、着古しの衣に、縫いつける者はありません。新しい布切れが、着古しの着物を弱め、ほころびを、いよいよ大きくするのです。

22.また、だれも新しい葡萄酒を、古い葡萄酒の皮袋に、注ぎ入れる者はありません。その酒が、皮袋を裂いたり、またその皮袋が、駄目になったり、そして葡萄酒が、流れ出ぬためです。そこで新しい葡萄酒は、新しい葡萄酒の皮袋に入れるものであります。』と。
※古い祭司的組織階級(あらゆる宗教組織)が古い皮袋のたとえ、21世紀の今でさえ当てはまるのでは?
イエス・キリストの御言葉(預言)には、とてつもないスケールで喩えが隠されているかも、もしイエスの時代から数千年後の惑星地球のことも含んでいたら、惑星自体の進化が新たに始まる時、地表面に棲んでいる人類も進化していなければ、その時、すべて地表面が裂けだし、超巨大な天変地異により、人類はすべて洗い流され、地下のマントルが噴出して、焼かれ滅ぼされ、太陽活動の超異変で、地表面での非常なる過酷さ等のことまで含んでいるのだろうか・・・ノアの時代どころではない、ミレニアムに入ってからその兆しが観えつつあるような・・・?・・・でも、ほんの極々わずかな心(霊)のピュアーな人達だけで、進化した新惑星上にあらたな文明(地上に神の国)を創るでしょう♪(このようなことを書けるのは、私がある私立大学で「宇宙気候から見た地球の異変」を時々教えているからです。

23.イエスが、安息日に、麦畑を通っていたもう時、彼の弟子達が、歩きながら、麦の穂を、摘み取った。

24.そこでパリサイ人達が、彼に言った『安息日に、彼らがしていることを、ご覧ください。それはすなわち、律法にもとるところです。』と。
※申命記23:25あなたが隣人の麦畑にはいる時、手でその穂を摘んで食べてもよい。しかし、あなたの隣人の麦畑にかまを入れてはならない。

25.イエスが、彼らに言いたもうた『あなた達は、ダビデが、その従えた者達と、欠乏し飢えた時にしましたことを、読まれませんでしたか。

26.アビアタルが、大祭司であった時、神の宮に入って、大祭司以外の者が食えば、不正であるところの、主の食卓の上にあったパンを食べ、また彼は、それを彼の従者にも与えたのは、如何でしょう。』と。

29.また、彼らに言いたもうた『安息日は、人のために創られました。そして人は安息日のために、創られてはありません。

29.それゆえ「人の子」もまた、安息日の主なのであります。』と。
※アラム語原典では「人の子」は「バルー(子)・ド(の)ナーシャ(平民)」。相当な地位にある者(貴族階級等)の場合は「バルー・ドマーレ(尊い)」で「尊い方の子」となる。イエスはここでは「平民の子」と言われるのです。
※メシヤはダビデの子孫として強調されるのでなく、「平民からですよ~」との意味を含まれているのでしょうか?
初代の先祖から26代目以降で約百億人以上の末裔となる。1代50年としても1300年後くらいである。初代先祖からすべての地球人が末裔となるのでは?



第三章
1.イエスは再び、会堂に入られた。そしてそこには、手のなえた男が居た。

2.そこで人々は、イエスに訴えようとして、イエスの安息日に、その男を癒したもうかどうかを見守った。

3.そこで彼は、手のなえた男に言いたもうた『中央に立ちなさい。』と。

4.それからまた、人々へも申された『安息日に、よいことをするのは、律法に合うのですか? 悪をすることが? 命を救うことが? また命を滅ぼすことが?』と。しかし彼らは黙っていた。

5.そこで彼は、怒って彼らを見つめ、彼らの心の頑迷なのを悲しみ、その男に言いたもうた『その手を伸ばしなさい。』と。そこで彼は、手を伸ばした。かくして彼の手は癒された。

6.そこでパリサイ人たちは、ヘロデ党の人たちと共に、直ちに出て行き、そして彼らは、なんとかしてイエスを殺そうと、彼について協議した。

7.そこでイエスは、その弟子達と一緒に、海辺に行かれた。すると大群衆が、ガラリヤから、またユダヤから、

8.エルサレムから、またイドマヤから、ヨルダンの周囲から、またツロから、またシドンから、彼に従うた。イエスのなしたもうたことを聞いた大群衆が、彼のところに来た。

9.そこで彼は、弟子達に、小船を彼の身近に、もって来るように言いたもうた。大群衆が、彼に押し迫らないためである。

10.なぜなれば、彼が多くの人々を癒したもたので、彼に触ろうと、他のものが、突進して来るからである。

11.そのうえ、汚れた霊に悩まされる人々が、彼の前にひざまずいて、叫んで言った『あなた様は、本当に神の御子です。』と。
※邦訳では「汚れた霊達が、ひれ伏す・・・」とあるようですが、幽霊がひれ伏したのだろうか? アラム語原典では「汚れた霊に悩まされる人々が、彼の前にひざまずいて」の方が一般的に解りやすいのではないかと思います。このとき居合わせた群衆の中には霊がひれ伏しているように見えた者もいたかもしれませんが?

12.そこで彼は、大いに彼らを戒めて、彼を知らしめないように、言いたもうた。

13.かくして、イエスは山に登りて、自分の欲する者たちを、呼びたもうと、彼らはやって来た。

14.かくして彼と共に居るように、十二を選びたもうた。伝道に遣わすため。

15.また病気を癒し、悪鬼を追い出す力を持たせるためである。

16.彼がペテロと名づけたシモン、

17.ゼベダイの子ヤコブと、ヤコブの兄弟ヨハネとに「雷(ポアネルゲ)の子」と名づけたもうた。
※ポアネルゲはギリシャ語訳ではポアネルゲスとなっている。これはアラム語でもないし、ギリシャ語でもない。アラム語で「雷」は「ラグーシー」である。

18.またアンデレ、またピリポ、また、バルトロマイ、また、マタイ、また、トマス、また、アルパヨの子ヤコブ、また、熱心党のシモン、

19.また、スカリオテのユダ、彼は主を売ったのである。かくして彼らは、その家に帰って来た。

20.それからまた、群集が集まった。このために、食べるパンを見出すことが出来なかった。

21.かくして、かれの親族達が、これを聞いて、彼を捕らえに出て行った。なぜなれば、「かれは正気を失っている。」ということだから。

22.エルサレムから下って来た、学者達が言った。『ベルセブルがついている。だからその悪鬼たちの首領によって、悪鬼を追い出しているのだ。』と。
※ベルセブルはアラム語で「ベールズブオーブ」で「糞だめ」という意味もあるようです。

23.そこでイエスは、彼らを呼び寄せて、たとえ話をもって、彼らに言いたもうた。
※詩編78:2わたしは口を開いて、たとえを語り、いにしえからの、なぞを語ろう。
78:3
これはわれらがさきに聞いて知ったこと、またわれらの先祖たちがわれらに語り伝えたことである。
78:4
われらはこれを子孫に隠さず、主の光栄あるみわざと、その力と、主のなされたくすしきみわざとをきたるべき代に告げるであろう。

24.『一王国が、分裂するならば、その国は立つことが出来ません。

25.もしも一家が、お互いに分裂するのならば、その家は立ち得ません。

26.サタンが、自分自身に向かって逆らうならば、サタンは分裂して、彼は立つどころではなく、彼の終わりです。

27.誰でもまず、強いものを縛らねば、その家に入り、その家財を奪うことは出来ません。そうして後、その家財を奪うのです。
※「家財」とは、人間の身体のたとえで使われている。身体の感覚器官によって、心が反応し、肉体が暴走し罪咎を生み、人生に悪影響を与えかねない。
イエスが荒野で「サタンよ去れ!」と恫喝したときは、荒野において、お一人で40日の父なる神との霊交時であるから、そんなときでも、おそらく感覚器官が少し鈍くなり、妄想がほんの一瞬、イエスのすきをついて襲ってきたので、ご自身を鼓舞されたのだろうか? 私のようなレベルの者が判断すべきことではないのですが、わたしなら1日も持たなくて、邪悪な妄想の餌食になることでしょう。

28.本当に、私は皆さんに申しますが、すべての罪と、人を汚すけがしは、赦されるであろうが、

29.聖霊に対して、汚しをなす者は、赦されないどころか、永遠の審判の前に。有罪で有ります。』と。
※「聖霊を汚しているのは、あなたたち学者さんたちでしょ!」と案に言われている感じ、現代でも、テレビに出ている、一部の評論家様、学者様、政治家様、官僚様・・・様にダブります。

30.それは彼らが「彼には汚れた霊がある。」と言ったからです。
※どんな人にでも「おまえは糞だめのようなやつのボスだ!」と言えば、どうなるだろうか? ましてやイエス・キリスト(神のひとり子)に暴言をはいたのだから・・・
原始仏典(ウダーナヴァルガ)に「この世で賭博に負けて財を失う人でも、その不運はわずかなものである。しかしこの世で完全に達した人に対して悪意をいだく人の罪は、まことに重い」「悪口をいい、また悪意をいだいて聖者をそしる者は、十万のニラブダ地獄と三十六と五千のアルブダ地獄とにおもむく」(訳:中村 元)

31.時に、彼は母と兄弟たちが来て、外に立ち、彼を呼びに、使いを出した。

32、しかし人々が、彼の周囲に座っていた。そこで彼らは、イエスに言った『ごめんなさい、あなたのお母さんと、またあなたのご兄弟たちが外にいて、あなたを呼んでおられます。』と。

33.そこで彼は答えて彼らに言いたもうた『わたしの母とは誰ですか? また、私の兄弟とはだれですか?』と。

34.こうして彼は、自分の近くに座っている人々を見つけて、言いたもうた『それ、私の母を御覧なさい。また、私の兄弟たちを。なぜならば、神の御心をなす者は、私の兄弟であり、また、私の姉妹であり、また、私の母です。』と。
※肉親を大切にしないということでなく、「霊⇔霊」「肉体⇔肉体」とのつながり関係を案に強調されたのではないか。霊的(精神的)に結びついた人間同士のつながりの方がはるかに優れていることを、肉体感覚人間のつながりはもろいが霊的なつながりは永遠であるということでしょうか、




第四章
1.再び、彼は、海辺にて教えたもうた。そこで多くの人々が、彼に集まって来たので、彼は、海の舟の中に座りたもうた。すると人々は、海辺の陸の上に立った。

2.かくして彼は、たとえ話によって、多くのことを教えたもうた。そしてその教えで、言いたもうた

3.『お聞きなさい、さよう、種を播く者が種をまこうと、出て行きました。
※ギリシャ語訳では「種播人の譬」となっている、アラム語原典では「種の譬」である。

4.そして彼が、種を播きますと、ある種は、路端に落ちました。そこで空の鳥が来て、それをたべました。

5他の種は、土の十分にない、岩の上に落ちました。土が十分に深くないので、すぐに萌え出でましたが、

6.太陽が照りますと、焦がされて、根もないので、枯れてしまいました。

7.他のはアザミの中に落ちました。そこでアザミが育って、それを塞ぎましたので、実を結べなかったのです。

8.けれども、また他のは、善き地に落ちました。生えて成長して、実を結びました。
三十、また、ある者は六十、また、ある者は百ありました。』と。
※ギリシャ語訳にもアラム語訳にも「倍」という語はなく、数字だけである。

9.また彼は『聴く耳のある者は聞きなさい。』と申された。

10.彼らが、彼らのみであった時、12人と一緒に、彼と共に居た彼らは、その譬えについて質問をした。

11.そこで、イエスが、彼らに言いたもうた『みなさんは、神の国と神の王国の奥義を知るように与えられる。しかし他のも者達にはみな、譬えによって説明されるはずです。
※「呼ばれる者は多いが、選ばれる者はほんのわずかである」

12.なぜなれば、彼らが見るところを見ても、会得しないし、しかも、また聞くところを聞いても理解しないのです。もし彼らが悔い改め、元に帰るならば、彼らの罪は赦されるでしょう。』と。

13.かくして彼は、彼らに言いたもうた『みなさんは、この譬え話を知らないのですか。それであっては如何していろいろな譬え話がみな解りましょうか。』と。

14.種を播いた種蒔者は、言葉を蒔いたのです。

15.路端のそれらとは、言葉を蒔かれた人々です。そして言葉を聞いたとき、サタンが直ちに来て、彼らの心の内に蒔かれた言葉を、奪い去るのです。

16.岩の上に蒔かれたそれらとは、言葉を聞いて、直ちに喜んで、それを受けたひとです、

17.そして、彼らの中に、根がないので、ただしばらくは持ちこたえられます。そして言葉のために、悩みや、迫害が来ると、彼らは直ちにつまずきます。
※現代はAV社会、テレビ等の画面から人間の思考が「無知化」になり、根がはらず、魂が乾燥状態であるのでは?・・・しかしテレビの情報がすべて悪いと言っているのではありません。視覚聴覚情報が脳の中央演算回路(CPU)で処理され、それのみを認識してしまう。人には魂(不死)という目に見えない認識機能もあることを忘れてしまっている。

18.アザミの中に蒔かれたそれらとは、言葉を聞いた人々であって、

19.そしてまた、この世のいろいろな思いと、富との騙しと、その他いろいろな欲が入って来て、言葉を塞ぎ、そして、実を一つも、結ばないのです。
※真理以外の世界がすべてアザミであるのでは? 感覚器官に左右される世界、それを霊的に思考しないと、アザミの世界に知らず知らずに引き込まれている、わたしの体験上。

20.また、よき土地に蒔かれたそれとは、言葉を聞いて、それを受け入れ、ある者は三十、また、ある者は六十、また、ある者は百の実を結ぶ、人々であります。』と。

21.また、彼は、彼らに言いたもうた『燈火は籠の下に、また寝台の下に、置くでしょうか? 燈台の上に置くのではないでしょうか!

22.なぜなれば、露(あら)わされないものは、一つも隠されてはいないし、また顕されないものは、一つも秘めてはないからです。

23.若し聴く耳をもつものは、お聞きなさい』
※「旧約聖書の秘められた真理」(籠の中)⇒⇒⇒「イエス・キリストの実践」(燈台の上に置かれた)寝台の下で冬眠していた真理を目覚めさせ、明らかにした偉大なる方・・・
日本のわらべ歌「かごめかごめ」はこの真理が隠されているのだろうか? 「籠目」は六芒星か? 「鳥」は精霊の象徴か? 「いつ、いつ、でやる」、「よあけのばんに」、「つるとかめがすべった」は天地がひっくりかえることか? 「うしろのしょうめんだあれ」は「真後ろにいるのは誰?」

24.また彼は、彼らに言いたもうた『みなさんの聞くところのことを、注意せられたい、みなさんが量る量りで、みなさんが量られる。そして聴く者に特に、益し加えられるでしょう。

25.なぜなれば、持っている者には、また与えられ、また持たぬものには、その持っているものさえも、彼らから取り去られるからです。』と。

26.また、彼は言いたもうた。『神の国は、地に種を播く人のようです。

27.そして彼は、夜昼寝起きします。そして、その種は、生え出て育ちます。然るに彼は、そのことについて知りません。

28.なぜなれば、地が稔らせるからです。しかも、始めに苗、それから穂、そして最後に、穂にいっぱいの穀となります。

29.けれども、実が熟しますと、その時すぐに、鎌が入ります。収穫だからです。』と。
※詩篇126:6種を携え、涙を流して出て行く者は、喜びの声をあげて帰ってくるであろう。

30.また、彼は言いたもうた『私たちは、神の国を何に比較し得よう。また、いかなる譬え話にて、それを描こうか?

31.それはあたかも、一粒の芥子種のようです。それが地に播かれるときには、地上における、最も小さな種です。

32.そして、それが播かれると、生え出でて、すべての野菜よりも大きくなり、また、大きな枝を出すので、小鳥もその陰に棲むことができます。」と。

33.イエスは、これらのような喩え話をもって、聞き得るように、喩えを彼らに語りたもうた。

34.そして喩えでなければ、彼は彼らに、語りたまわなかった。しかし、彼らの弟子達に対して、彼らの間では、すべてのことを説明したもうた。

35.その日の夕方、彼は彼らに言いたもうた『さあ、向こう側に渡るとしよう。』と。

36.そこで彼らは、人々から去った。彼らが舟に居たもう間に、彼らは、彼を連れて行った。また、そこには他の数そうが、彼らと共にあった。

37.そこに、ひどい嵐と風とが起こった。そこで波が、舟の中に打ちこんだ。そのために、舟中は、ほとんど一杯であった。

38.しかしイエスは、艫(とも)で毛布の上に、寝ていたもうた。そこで彼らは、彼の処に来て、彼を起こして言った『先生、わたしたちのボロ舟を、心配してくださらないのですか?』と。

39.そこで彼は、起きて、風を叱りたもまい、また、海に向かって「鎮まれ、静まれ。」と。すると風は静まり、そしてそこには、大いなる静けさがあった。

40.そこで彼は、彼らに言いたもうた『何ゆえにあなたがたは、信仰がないのですか?』と。

41.そこで彼らは、非常に怖れた。そして互いに言い合った『オー、これは誰だろう。風と海さえ、この方に従うとは。』と。


アラム語新約聖書  マルコ伝 第三巻(5,6章)

※特に「蘇生」「数千人給食」「水上歩行」の奇跡について科学(量子力学)的仮説

第5章
1.彼らは海の彼方の、ガダラ人の地の港に着いた。

2.そして、彼らが舟から出た時、墓から来た、汚れた霊につかれた男に出逢うた。

3.その男は墓に住み、しかも彼を鎖で縛り得るものは、一人もいなかった。

4.これは彼を、足かせや鎖で縛っても、いつも鎖を切り、足かせを砕くので、誰も彼を制することが出来ないからである。

5.そして何時も、夜も昼も、彼は墓や山で、大声で叫び、石で自分を傷つけていた。

6.彼は遠くから、イエスを見て走り、かつ彼を拝した。

7.そして彼は大声で叫んで言った『いとも高き神の子イエスよ、私どもは、あなた様と、どんな関係があるのですか? あなた様にお願いいたします、私を苦しめないでください。』と。

8.それは彼が、これに『オー、お前、汚れた霊よ、この人から出てしまいなさい。』申されたからである。

9.そこで彼は、この男に尋ねたもうた『そなたの名は何といいますか?』と。そうすると彼は、彼に言った『私達の名は、レギオンです、私達は大勢だからです。』と。

10.かくして、彼は彼に、この地以外へ追放したまわないように、大いに願うた。

11.さてそこの山の近くに、豚の大いなる群れが飼われていた。

12.そこで悪鬼につかれた者どもは、彼に乞うて言った『私どもを豚のところに遣わしたまえ、そうすれば私どもは、それを襲いましょう。』と。
※邦訳は「豚に入る」アラム語原典では「豚を襲う」

13.そこで彼は、それを許したもうた。悪鬼につかれた者どもは、出て行き、豚を襲うた。そこで豚の群れは険しい崖を走り、そして海に落ちこんだ。豚は約2千匹であった。そしてそれらは水に溺れた。

14.そこで豚を飼う者たちは逃げていって、町にも、そして村にもまた告げた。そこで人々は、この出来事を見ようと出て来た。

15.そして人々は、イエスのところへ来て、かって自分の内に、レギオンを持った狂人が、着物を着て、善く行動をし、また座っているのを見て、彼らも驚いた。

16.そこで悪鬼につかれた者と、豚とに起こった事を見た人達は、それを彼らに告げた。

17.そこで彼らは、彼らの地域から、去りたもうように願った。

18.イエスが舟に乗り込みたもうと、悪鬼につかれた者は、彼と共に残りたもうことを乞うた。

19.そこで彼は、彼を許したまわないで、言いたもうた『あなたの家、あなたの人々に行き、そして主が、あなたのためになしたまい、またあなたを憐れみたもうことを告げなさい。』と。

20.そこで彼は去った。そして彼は、イエスのなしたもうことを十都市(デカポリス)に宣伝したので、人々は皆驚いた。

21.イエスが舟で、向こう側に渡りたもうた時、大勢の群集が、再び彼の周りに集まった。その時彼は、海辺にいたもうた。

22.そして、そこに、会堂の指導者の一人がやってきた。その名はヤイロであった。そして彼が、彼を見た時、彼は彼の足許に伏した。

23.そして彼はしきりに懇願して、彼に言った『わたしの娘は、非常な大病でございます。おいでくださいまして、あなた様の手を、娘の上に置きくださいませ。そうすれば、娘は癒りましょうし、また生きることでございましょう。』と。

24.そこでイエスは、彼と共に行きたもうた。また群集は、イエスに押し迫った。

25.するとそこに、12年間出血する女がいた。

26.彼女は、多くの医者の手で、多くの苦しみを受け、かつまた、彼女の持ち物のすべてを費やし、その上、少しも助からないばかりか、いよいよ悪くなった。

27.彼女が、イエスのことを聞いて、彼女は彼の後ろから、群集の人垣を抜けて来て、彼の上着に触った。

28.なぜなれば、彼女は『もし自分が、ただあのお方の衣に触れ得たならば、自分は生きるであろう。』と言ったからである。

29.そこで直ちに、出血は止んだ。そして彼女は、自分の体から、病気の癒されるのを感じた。

30.イエスは直ちに、御自分の体から、ある力の出るのを知りたもうた。そこで彼は、人々を振り返って、言いたもうた『私の衣に触れたのは、誰ですか?』と。

31.彼の弟子達が、彼に言った『ご覧の通り、群集が、あなたに押し迫っております。それであるのに、あなたは、私に触れたのは、誰かと申されますか?』と。

32.彼は誰が触れたか、見ようと見廻したもうた。

33.しかし女は、自分に起こりつつあることを知って、おののき震えながら、やって来て、彼の前に伏して、本当のことを、すっかり彼に告げた。
※この時代のこの地域の女性は、男性の中などへは入るのには相当の勇気と覚悟が必要であったらしい。ましてや病を患った女性など汚らわしい存在であったようです。命がけであったのでしょう。
※レビ記15:1主はまた、モーセとアロンに言われた、 15:2「イスラエルの人々に言いなさい、『だれでもその肉に流出があれば、その流出は汚れである。 15:3その流出による汚れは次のとおりである。すなわち、その肉の流出が続いていても、あるいは、その肉の流出が止まっていても、共に汚れである。 15:4流出ある者の寝た床はすべて汚れる。またその人のすわった物はすべて汚れるであろう。 15:5その床に触れる者は、その衣服を洗い、水に身をすすがなければならない。彼は夕まで汚れるであろう。 15:6流出ある者のすわった物の上にすわる者は、その衣服を洗い、水に身をすすがなければならない。彼は夕まで汚れるであろう。 15:7流出ある者の肉に触れる者は衣服を洗い、水に身をすすがなければならない。彼は夕まで汚れるであろう。

34.そこで彼は、彼女に申された『私の娘よ、あなたの信仰が、あなたを癒しました。平安のうちに行きなさい。あなたは病から癒されますよ。』と。

35.彼がなお、語っていたもう時、会堂の指導者の家から、人々が来て言った『あなたのお嬢様が死なれました。どうして先生を煩わせましょう』と。

36.イエスは、彼らの語る言葉を聞いて、会堂の指導者に申された『恐れなさるな、ただ信ずるのです。』と。

37.そして彼はシモン・ペテロとヤコブと、ヤコブの兄弟ヨハネの外は、彼と一緒に行くことを許したまわなかった。

38.そこで彼らは、会堂の指導者の家に来た。そして彼は、騒ぎのうちに、泣きかつ嘆く人々を見たもうた。

39.そこで、彼は入って、彼らに言いたもうた『あなた達は、興奮して泣いているのですか? この小娘さんは、死んではいません。ただ、眠っているのです。』と。

40.そこで彼らは、あざ笑った。しかしイエスは、皆を外に出して、小娘の父母と、彼が伴うた人々と共に、小娘の寝ているところへ入りたもうた。

41.そして、小娘の手をとり、彼女に申された『眠れるお前よ・起きなさい。』と。

42.すると、直ちに、小娘は起き上がって歩いた。彼女は12歳だからである。そこで彼らは、非常に驚いた。

43.それゆえに彼は、このことを、誰にも知らせてはならぬと命じたまい、また彼は、何か食べ物を、彼女に与えるように、彼らに告げたもうた。
※「死人の蘇り」イエスの奇跡に「蘇生奇跡」が外にもある。わたしの仮説として結果事象時に同時に原因事象時にもどることが可能となれば蘇生も可能となるのでは? アインシュタイン博士の「相対性理論」は「光速」を不変として「相対性理論」をあらわしている。しかし2011923日に「ニュートリノ(ダーク・マターの一種)が光速より早く到達した」実験結果が世界中に公表された。つまり「光速度不変の法則」が根底からくつがえされた。光より速い素粒子が存在しているということである。目に見える事象は光を通して現象を脳が認識し判断し結果を断定する。しかし、光(可視光線も素粒子)より早い素粒子エネルギーを使用できれば、結果事象の前の事象にワープできるのでは?「タイムマシーン」を使って過去にもどり、必要なことをし直すことも不可能でなくなるのでは?
イエス・キリストが聖書に述べられている超人的事象以上に超人的であられるなら、「死からの蘇り」⇒その場の次元事象を一時過去に戻し、対処をし、もとの次元事象にもどす。居合わせた数名の者たちは一瞬の出来事なので気がつかない、つまり時間空間をコントロールできる⇒驚異的な奇跡となるのでは?⇒これの考え方で行けば、奇跡は奇跡でなくなるのでは?『時空制御』




第6章
1.かくてイエスは、そこから出て行き、そして自分の町に来たもうた。そして彼の弟子たちも彼に随うた。

2.安息日が来たので、彼は会堂にて教え始めたもうた。そして彼に聞いた多くの人達は、驚いて言った『これらのすべての事柄を、彼はどこから受けたのか? また、彼の手によってもたらされた、このような不思議なわざを、彼に与えた、その智恵は何か?

3.彼はマリやの子、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟で、大工ではないか? そして見られよ、その姉妹は、私たちと共に、ここにいるではないか。』

4.そこでイエスは、彼らに言いたもうた『預言者は自分の町、自分の兄弟の間に、また自分の家以外において、尊ばれないことはありません。』と。

5.かくして彼は、そこでは、数人の病める人々に、手をおいてお癒しになった外には、一つの奇跡も、行いたもうことが出来なかった。

6.そして彼は、彼らの信仰の少ないのに驚かれた。そこで彼は、教えながら、村々を旅したもうた。

7.そこで彼は、彼の12人を召して、2人づつ、彼らを遣わし始めたもうた。そして彼は、彼らに、汚れた霊を制し、それらを追い出す力を、与えたもうた。

8.そして彼は、旅のために、ただ一つの杖の外、袋もパンも、財布に金をも、何をも持たないこと。
※古いユダヤのことわざに「杖は途上の友」

9.しかしただ靴を履き、そして2枚のシャツは、着てならないと命じたもうた。
※この時代は、家に人が入って来ると、まず下着の枚数によって、その人の階級を見たらしい。富める者は、一度に6枚の下着を着込んで、その上に、数枚の上着を着ていたという。
盗賊は物持ちを狙ってくるので、貧しい姿をして旅行者は旅をしてたらしい。

10.また彼は、彼らに言いたもうた『あなた達は何れの家にも入るのです。その場所を去るまで、そこに逗留しなさい。

11.そして誰も、あなた達を受け入れず、また聞かなければ、あなた達が、そこを去る時、彼らに対する証として、あなた達の足の下の砂を、払いなさい。本当に、私はあなた達に告げますが、裁判の日には、ソドム、ゴモラのためには、その市のため、より容易でありましょう。』と。

12.かくして彼らは出発し、人々の悔い改めねばならぬことを、宣べつたえた。

13.また彼らは、多くの悪鬼を追い出し、多くの病める者に、油を塗り、そして彼らを癒した。

14.かくして、ヘロデ王は、イエスについて聞いた。なぜなれば、彼の名は、王に知られたからである。そこで王は言った『バプテスマのヨハネが死人から蘇った。彼によりて奇跡のなされる理由である。』と。

15.他のものが言った『彼はエリヤです。』と。またなお、他の者が言った『彼はちょうど、預言者達のうちの一人のごとき、預言者です。』と。

16.しかしヘロデが、それを聞くと、彼は言った『私が首を斬った、ヨハネである。すなわち死人から、蘇った彼である。』と。

17.なぜなれば、例のヘロデは、彼がめとった、自分の兄弟ピリポのの妻ヘロデヤのために、使いを遣わして、ヨハネを捕らえ、これを投獄したからである。

18.それはヨハネが、ヘロデに『あなたの兄弟の妻をめとることは、正常でありません。』と言ったからである。

19.しかしヘロデヤは、辛くあたり、そして彼を殺そうと欲した。けれども彼女はできなかった。

20.それは、ヘロデがヨハネを怖れたからである。彼は彼が正しくあり、聖者であることを知っていたので、彼を護った。また彼は彼に聞いて、多くの大きな仕事をなしつつあったし、また彼に聞くことを、喜んでいたからである。

21.こうして、国祭日が来た。ヘロデが自分の誕生日の時、彼はその大官や、武将、またガラリヤの指導者達を招き、祝宴を開いた。

22.そこへ、ヘロデヤの娘が入って来て、舞をまい、ヘロデと、それに伴う客とを喜ばせた。そこで王は、その少女に言った『何なりと望むがよい。さすれば私は、それらを、そなたに与えよう。』と。

23.また王は、彼女に誓った『そなたの望むものを、わたしはなんでもあげよう。私の大国の半分ほどでも。』と。

24.彼女は出て行って、その母に言った『あの人に、何を望みましょうか?』と、彼女は娘に言った『バプテスマのヨハネの首を。』と。

25.それで直ちに、彼女は用心深く入って行き、彼に言った『早速バプテスマのヨハネの首を、お皿の上にのせて、私にくださいますように、お願い申しあげまする。』と。

26.そこで王は、非常に悲しんだ。しかし誓いと、客のために、彼は彼女を、拒もうとは欲しなかった。

27.しかし王は、直ちに死刑執行人を遣わし、ヨハネの首をもって来るように命じた。そこで彼は、行って牢獄で、ヨハネの首を斬った。

28.そして、その首を皿にのせて、持って来て、それを少女に与えた。それでその少女は、それをその母に与えた。

29.そこでヨハネの弟子たちは、これを聞き、やって来て、かれの死体をとり、それを墓に埋めた。

30.さて、使徒達は、イエスに集まってきて、彼らのした事や、彼らが教えたことを、すっかり彼に告げた。

31.そこで彼は、彼らに言いたもうた『私達は皆、私たちのみで荒野に行き、しばらく休息しよう。』と。なぜなれば、来るものや往く者が多くて、彼らが食事をする機会がないからである。

32.そこで彼らは舟で彼らだけ、荒野に行った。

33.そこで多くの人々は、彼らの去り行くのを見て、彼らを知り、すべての町々から、陸を歩いて、彼らより先に、その場所に居った。

34.そこでイエスが、外へ出て群衆を見て、彼らを憐れみたもうた。飼うもののない、羊のようであったから、そこで彼は、多くの大いなることを教えたもうた。

35.時も遅くなりつつあったので、彼の弟子たちが、彼のところへやって来て、彼に言った『ここは人の居ないところ、また、時も遅くなりつつあります。

36.あの人達を走らせてください。そうすれば、あの人達は、この周辺の農園や、村々へ行って、自分達のために、パンを買うでしょうから。なぜなら、彼らは、食べ物もなんにも持っていませんから。』と。

37.彼は、彼らに言いたもうた『あなた達が、あの人達に、食べ物をあげなさい。』と。彼らは行った『私達が行って、200デナリのパンを買って、彼らに食べさせるのですか?』と。

38.彼は、彼らに言いたもうた『行って、ここで、いくつのパンが得られるのか、見てください。』と。そこで彼らは、見つけ出して彼に言いたもうた『5つのパンと、2つの魚です。』と。

39.そこで彼は、彼らに、草の上に、各自に組をつくって、座らせるように、命じたもうた。

40.そこで彼らは、百人または50人と、組をつくって、座った。

41.かくして彼は、5つのパンと、2つの魚をとって、天を見上げ、それから彼は、それを祝福し、パンを裂き、彼らの前におくように、直ちに、弟子たちにわたしたもうた。そして彼らは、2つの魚をも、彼らすべての者に分けた。

42.それで彼らは、皆食べて満足した。

43.それから、彼らはパン片を集めた。12の籠に、いっぱいであった。そして魚もまた、同じ数であった。

44.そして、パンを食べた者は、5千人であった。
※ユダヤの風習に、料理する女性は、生パンができると、指先で、祝福のしるしに、十字架の印をつけて「神よこれを増やしたもうて、未知の人や、飢えている人々に、分けしめたまえ。」と祈るらしい。信仰があって、心が真実で、そしてよく祈祷に心を捧げる人だと、世間に知られている婦人の焼いたパンは、祝福されると言われる。また、聖者や敬虔なる人の手は、物を豊富にする、善きパン種の素となると信じている。
※素粒子コントロールできれば可能となるのでは?⇒普通の考えでは、例えばパンを5千人分用意するには、食材としての小麦粉と水とで、パン生地を数千個用意し、焼くことが最低必要である。奇跡的に考えれば、その場の『時空場』を一時的に変換し『素粒子制御』すれば、数個のパンや魚を数千個に増やすことも可能となるはずである。
つまり5千人いる「場と時間」を一瞬間、イエスが時空制御と素粒子制御をし、その間にパンを増やすことができれば? パンも元々分子原子の集まり、その原子も素粒子の構成である。素粒子も粒子的であり波動的でもあるから、パン個々の基本波動を数千倍に増幅すれば、瞬時に数千個のパンが出現可能となるのでは?
身近な事象でいえば、電波でも昔のラジオ波は数百キロヘルツであるが、今の情報媒体は数ギガヘルツを使用できる。昔のラジオ波の波長帯と現在使用されているギガヘルツ波長帯の情報量は数万倍である。つまりまったく異なった情報をマルチに同時に伝達している。地デジ放送がそれである。1画面に異なったマルチ情報をリアルタイムで認識できる。つまりマルチ事象が同時に得られる。これから推測すれば、奇跡ではなくなるのでは? ただ凡人にはリアルタイムで「時空制御」においてマルチアクションができないということだけでしょう!

45.かくて直ちに、彼は、彼の弟子たちに、舟に乗り、彼が群集を帰している間に、ベッサイダの港に、先に行くよう促したもうた。

46.そして彼が、群集を帰した後、祈るために山に登りたもうた。

47.夕方となって、舟は海の真ん中にあった。そして彼は、だだ一人陸上にいたもうた。

48.それから彼は、弟子たちが、苦労しているのを見たもうた。風が、彼らに逆らうからである。そして夜の4時に、イエスは、海の上を歩きながら彼らのそばに来、そして彼らのそばを過ぎようとしたもうた。

49.しかし彼が海の上を歩きたもうた時、彼らは、それが悪い、幻であると考えて、叫んだ。
※「水上歩行の奇跡」⇒宇宙には「ダーク・エネルギー」「ダーク・マター」の存在が10年ほど前に発見され証明されつつある。量子物理学では、何もない空間、つまり真空状態の宇宙空間に実際には「粒子・反粒子」が存在しているということらしい。ダーク・エネルギーは磁場の影響を受けないので、重力磁場の力が働いているところでも影響を受けない。仮にイエス・キリスト御自身の肉体の原子を構成している素粒子エネルギーをダーク・エネルギーに一時的にエネルギー変換すれば、水上だろうが、瞬間移動だろうが、また時空制御を加えれば、無から有を作り出すことが可能となるのでは?

50.なぜなれば、彼らは、彼を見て、恐れおののいたからである。そこで彼は、直ちに、彼らに語って言いたもうた。『勇気を持ちなさい、私です。恐れなくともよろしい』と。

51.かようにして、彼は彼らのところへ行き、舟に入りたもうた。すると風は、まったく減じた。そこで彼らは、ひどく驚いた。そして彼らの間で驚いた。

52.なぜなれば、彼らは、その心が混乱して、パンの奇跡が、理解できなかったからである。
※人生は航路のようなもので、いつも順風ではない、予測もできない事態が待ち受けている、そういうときでも、「イエス・キリストの教えを信じ、嵐の過ぎ去るのを耐えなさい、嵐の後には必ず平安が訪れることを・・・」とでも言われているのであろう、そうすると、ひょっとしたらすばらしい好転が現れ、それをわれわれは『奇跡が起こった!』と叫ぶのであろう?

53.かくて彼らが、その港へ渡ると、彼らはゲネサレの地に来た。

54.彼らが舟から上がると、その地の人々は直ちに彼を知った。

55.そこで彼らは、その土地中に、走ってやって来た。そして彼らは、大病人たちを、架 床にのせて、彼の居たもうと聞いたところへ運んだ。

56.そして、彼が入りたもう村々町々は、どこでも、群集が、通りに病人を横たえ、彼の上着の縁に触れることをこい願い、かくして、彼に触れたものは、皆癒された。


宇宙で目に見える物質はたった4%
宇宙が何でできているかを調べてみると、われわれが知っている、陽子や中性子など目に見える(観測されている)物質は全体の約4パーセントにすぎません。その5~6倍は未知の物質(ダークマター)が占めていると考えられます。残りはダークエネルギーと呼ばれている正体不明のものです。これまで観測に利用されてきたのは、光やX線、赤外線などの電磁波ですが、暗黒物質というのは、電磁波での観測では見ることができないため、暗黒(ダーク)という呼び名がついています。
 
次回もお楽しみに♪

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